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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)1186号 判決 1981年4月27日

控訴人

右代表者法務大臣

奥野誠亮

右指定代理人

野崎弥純

外二名

被控訴人

河村政子

外一四名

右一五名訴訟代理人

佐伯幸男

浅井利一

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

原判決は、被控訴人ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。

2  右取消にかかる被控訴人らの請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

との判決並びに原判決に仮執行宣言が付されることを条件として、担保を条件とする仮執行免脱宣言

二  被控訴人ら

主文と同旨の判決

第二  当事者双方の主張<以下、事実省略>

理由

一請求の原因1、2の事実は当事者間に争いがなく、この事実と<証拠>を総合すれば、事故機の推測航跡(海上自衛隊の本件事故調査委員会の担当者が、事故調査結果に基づき、事故機の通報位置地点を参考にしながら連結したもので、事故機機長らが認識していたであろうと推測される航跡である。)と追尾航跡(事故当時航空自衛隊襟裳レーダーサイトがとらえた事故機の航跡であるが、二〇四八時から二〇五八時まで、二一一九時から二一三二時まで及び二二〇四時から事故時までのそれはレーダーにはうつらなかつたもので推測によるものである。)との関係は、別紙記載のとおりで、事故機は、すでに二一三二時には、その飛行位置が北緯四一度一六分、東経一四二度二九分であつたのに、自らは、その南東方に一〇数マイルも離れた北緯四一度〇六分、東経一四二度四六分(別紙のA地点附近)を飛行しているものと誤認し、更に、そのまま飛行したうえ二二三〇時には、自機が北緯四一度五〇分、東経一四三度四九分附近(別紙のB点)、二二三七時には、事故地点の南東方約一五マイルの北緯四二度〇分、東経一四三度三三分附近(別紙のC点)に達していたのに、自らは、二二三〇時には、B点の南西方に約三〇数マイル離れた北緯四一度一五分、東経一四三度二五分(別紙のB点)を、二二三七時には、同様事故地点の南西方四〇マイル以上離れた北緯四一度二五分、東経一四三度〇五分(別紙のC点)にあるものと認識して飛行を継続し、前記のように二二四〇時に、二二三〇時における機位を通報したのを最後に消息を絶ち、その後事故機が直ちに無視界状態に入つたのか又はその後若干の時間経過後に無視界状態に入つたのかは後記のとおり明らかではないが、ともかく右の二二四〇時の基地あての機位通報後に雲又はその他の気象条件による無視界状態に突入し飛行した結果、二二四六時頃本件事故を惹起するにいたつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。すなわち、事故機は、遅くとも二一三二時から本件事故発生時の二二四六時頃まで機位誤認のまま飛行を継続したのであつて、特段の事情のない限り、本件事故は右機位誤認の結果生じたものと解すべきは当然である。

二控訴人は、右の機位誤認と本件事故との因果関係の存在を争い、本件事故の唯一の原因は、事故機が有視界状態を維持して飛行すべき旨の上司の命に反し、本件事故発生時まで漫然と無視界飛行を継続した点にある旨主張するのでこの点について検討して見ると、本件事故発生時に事故機が無視界飛行状態にあつたことは右認定のとおりであるが、事故機がその約六分前の二二四〇時に「二二三〇時ポジション北緯四一度一五分、東経一四三度二五分、高度一五〇〇フィート、オペレーションイズノーマル、付近天候、レインマイナス(霧雨)、視程五マイル、シーリングアンノウン(雲高不明)」と基地あてに通報したことは、前述のとおり当事者間に争いがなく、この事実と弁論の全趣旨を総合すれば、右通報時点の二二四〇時に事故機が有視界状態を維持していたことは明らかであるから、事故機が無視界状態に入つたのは、その後であるというべきところ、本件全証拠によつても右の無視界状態突入時を明らかに知ることはできないし、前記二二三七時における事故機の実際の飛行位置から推測できる同機の二二四〇時の飛行位置とその付近の天候(前出日辻証言によれば、事故当日の二二四六時前後襟裳レーダーサイトにおいて襟裳南東方九〇マイル附近から相当大きな雲の大群が接近し、豪雨をもたらしたことが観測され、また本件事故の二人の目撃者がそれぞれ事故の時点で豪雨にあつたことが認められる。)からすれば、事故機は、本件事故発生地点に相当接近した地点において無視界状態に入つた可能性もあり、場合によつては、事故機が本件事故発生地点の至近距離に到達した後に無視界状態に入つたため、操縦操作によつて無視界状態から反転脱出する暇もないまま事故が発生するにいたつたと推認し得る余地もないではなく、一方、前出日辻証言によれば夜間飛行の場合は、昼間と異り、雲の存在をその手前で発見することが常に可能ということはできず、雲中に突入した後にはじめてそれに気づいてもやむをえないこともあると認められる(当審証人峰松秀男の証言中右認定に反する部分は措信できない。)から、本件事故の発生と、その直前において事故機が無視界飛行状態にあつた事実のみから、河村機長が雲中から反転脱出しなかつた点に命令違背又は注意義務の懈怠があつたとただちに結論することはできないし、その他これを認めるに足りる証拠もない。従つて事故機の機位誤認と事故発生の因果関係は、河村が雲中から反転脱出しなかつた過失によつて遮断されるとする控訴人の主張はその前提を欠くこととなり、採用できない。

三そこで次に事故機が右のように機位を誤認するにいたつた原因について検討する。

1  <証拠>を総合すると、

事故機に装備されていた機位測定のための航法機器は、ADF受信機(無線方向探知機)、ロラン受信機、タカン装置、VOR受信機、マーカービーコン受信機、捜索用レーダー、偏流測定儀であつたこと、ADF受信機は、地上局から常時発射されている無指向性電波を受信し、その到来方向を測定して局の方位を知るものであり、従つて、同時に二局の方位を測定し、それぞれの局からの反方位を航空図に記入し、その交点を求めることによつて、自機の位置を知ることができるが、二局と自機とを結ぶ交差角が六〇ないし九〇度のときに正確な位置を求めることができ、交差角が小さくなるに従い誤差が大となり、求めた位置の信頼度は低下すること、ロラン受信機は、主局と従局で一組となる二つのロラン局から発射される電波(ロラン信号)を受信し、その到達時間差を測定することにより、同一時間差の線をロランチャート(ロラン海図)によつて一本の位置の線として求め、更に別の一組のロラン局の電波を測定し、同様にして同一時間差の線(位置の線)を求め、その交点によつて自機の位置を知るものであるが、地上波の減衰、空間波(電離層による反射波)の発生、磁気あらし等のため、ロラン信号の識別に注意が必要であり、連続的に使用していないと、ときに不正確な位置をチャートに記入し、機位を誤認する場合が生ずること、タカン装置は、タカン地上局からの発信電波を受信し、地上局からの方位と距離を同時に求めるものでこれにより機位を知ることができるものであり、使用方法はADF受信機と同様であるが、タカンは極超短波(UHF)が使用されているため、受信範囲が可視距離範囲に限定され、特に低高度にあつては、地形の障害を受けるとともに電波の減衰度が大きいので、受信範囲内にあつても指示が不安定となる場合があること、VOR受信機は、超短波(VHF)が使用されるほかはADFと同じ原理に基づく受信機であり、従つてその性能は、距離が測定できないほかは、タカン装置と同じであること、マーカービーコン受信機は、マーカービーコン局から真上に発射される電波を受信し、その上空通過を知り、変針、着陸等に利用されるが、洋上では利用されることはないこと、捜索用レーダーは、本来の航法機器ではないものの、固定目標(山岳・海岸線)を受像した場合には、その目標からの相対方位と距離を知ることができるのであるが、探知距離は、雨、雲等の気象現象、航空機の高度、海面状況等により大きく影響を受け、探知方向は機首方向の左右七五度、上方一〇度下方二〇度の範囲(目標の大きさ及び目標までの距離によつてレーダー操作員がレンジを切換える。)であり、航法の補助的手段として利用されるに過ぎないこと、偏流測定儀は、飛行機が行動する地域及び飛行高度における風向、風速を測定する機器であり、測風の要領は、航法員が偏流測定儀で航空機の真下にある移動しない物標(夜間海上の場合においては飛行機より海面に落下せしめる航法目標灯等)に照準を合わせ、その物標の移動方向と飛行機の首尾線とのなす角度(偏流角)を測定するのであるが、通常、機長は行動する海域に入る前に二ないし三方向に二分程度飛行し、航法員に命じて前述の要領で偏流の測定を行い、あらかじめ、行動する海域の風向、風速を算出し、以後の航法の資料とし、操索行動開始後は捜索業務のため精細な測風を行うことは困難となるため、捜索予定コースの長い航程の際には、一方向の偏流を測定し、飛行機が風により流れる状況を見て必要な場合は偏流角に対応する角度だけ風上側に機首を振り予定コース上を飛行できるように所要の修正を行うのが通例であること、事故機は、前示のとおり、夜間における有視界飛行を行つたものであるが、その場合において以上の航法機器をどのように使用するか、電波航法(電波受信機を主用して機位を求める航法)、推測航法(偏流測定儀による測風によつて機位を推定する航法)のいずれを主用して行動するかは、一般的に、行動海域の特性、飛行高度による受信機の能力等を勘案して、機長の判断と責任に委ねられていること、本件訓練海域においては、事故機のADF受信機が捕捉しうる地上局は八戸、三沢、千歳の三局であるが、千歳局の電波は有効に利用することができず、右海域の西半分において八戸、三沢両局の電波を利用しうるに過ぎなかつた上に前記ADFの機能及び事故機と八戸及び三沢の両地上局との位置関係上、ADF受信機によつて測定された位置については、本件訓練海域南西隅の北緯四一度〇分、東経一四二度〇分附近においては約二マイル、その中央部の北緯四一度一五分、東経一四二度五〇分附近においては約四マイルの誤差を生ずる余地があり、更に、これに夜間における地上波と空間波の混信及び電離層の急激な変化に起因する不規則かつ不定量の夜間誤差が加わるため受信機の指針にふらつきが生じ、正確な数値を把握することが難しくなる結果、ADF受信機による測定結果のみによつて自機の位置を確認することは困難であつたこと、事故機のロラン受信機は、大釜崎にあるロラン主局と落石にあるロラン従局から発信する電波を捕捉し得たが、ADFと同様夜間誤差が生ずる可能性があつたこと、事故機のタカン装置は、三沢のタカン局の発する電波を捕捉し得たが、それは本件捜索訓練海域のほぼ西端に近い空域においてのみであつて、右装置は本件訓練海域においては、殆んど機能しなかつたこと、以上のように、本件訓練海域及び事故機の飛行高度の関係から、ADF受信機、ロラン受信機、タカン装置等による機位測定は、かなり困難であり、そのたあ、本件救難訓練に事故機の交替機として参加した第二航空群所属の対潜哨械機P2V型機(機長玉田範雄)は、ADF及びロランの各受信機並びにタカン装置を機位測定に使用せず、同機には三六〇度方向を探知できる精度の高いレーダーが装備されていたため、もつぱらこれによつて自機の位置を確認し、この結果と推測航法の併用によつて飛行したが、事故機には右のようなレーダーの装備もなく、前記のように捜索用レーダーは、前方一五〇度、上方一〇度、下方二〇度の範囲をカバーすることはできたが、その精度は、P2V型機に装備された前記のレーダーよりもはるかに劣り、航法援助機器としては、極めて不十分なものであつたことの各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  <証拠>によれば、事故機搭乗員の所属した大村航空隊では、その飛行管制が、航空局によつてなされていた関係で、夜間飛行が制限され、かつ夜間飛行は、有視界飛行状態でのみ許可され、無視界飛行状態の場合は、その発着が禁止されていたこと、事故機の機長河村一尉は、飛行時間約三〇〇〇時間の経歴をもつベテランパイロットであつたが、夜間飛行時間は、一二〇時間ぐらいにすぎず、他のP2Vなどのベテランパイロットのそれの約三分の一にすぎなかつたこと、河村機長は、操縦能力は優れていたが、機位を求め、風向、風速等により修正針路、速度を決する等のいわゆる航法の能力については、必ずしも十分な能力をもつておらず、日辻常雄が、大村航空隊司令をしていた当時(昭和三六年から昭和四〇年四月まで在職)においては、右河村の航法能力を考慮し、かつ同人に航法を習熟させるため、大村航空隊の中で優れた航法能力を有する航法員香田三佐を機長として同乗させ、右河村が第一操縦士として訓練に参加したこと、更に本件のように大村基地から八戸基地に進出して行う訓練においても、昭和三七年四月一一日から昭和三八年九月三〇日までの間に河村が参加した七回の訓練においては、いずれも、香田三佐が機長兼第三操縦士(航法員)、河村が第一操縦士の組合せで出動しているのであり、昭和三九年三月香田三佐が他に転出したため、それ以降の訓練において右組合せが解消され、河村が機長兼第一操縦士として他の航法員との組合せで参加していたこと、航法員であつた青柳については、若い操縦学生出身でクラスの中では、優秀な部類に属したが、航法員という配置についた経験は一〇か月にすぎず、昭和四〇年七月二六日から本件事故発生日までの訓練に参加する以前においても、昭和三九年九月及び昭和四〇年一月の二回にわたり塩川三佐を機長兼第一操縦士とするUF2型機の第三操縦士(航法員)として大村基地から八戸基地に進出して行う訓練に参加したことはあつたが、河村を機長とする事故機の航法員として八戸基地に進出したのは右の七月二六日以降の訓練が最初であり、また同人は性格的にやや独善に陥り易い傾向があつたので、能力及び性格からみて河村機長との組み合わせは必ずしも当を得たものではなかつたこと、副操縦士の渋谷についても、経験は右青柳とかわらず、航法についての能力が十分あつたとはいえないこと、更に日辻常雄は、転任する際後任者峰松秀男に対して右河村の航法能力について問題がある旨引継をしていたことの各事実が認められ、これらを総合すると、本件事故機のクルーは全体として見た場合、本件夜間捜索訓練に参加させるには練度が十分でなかつたと認めざるをえず、<証拠判断略>。

3  そして<証拠>によれば、事故機の基地あて位置通報のうち、最初の機位誤認を示す前記二一三〇時の通報位置は、八戸局発信のADF電波と主局大釜崎、従局落石発信のロラン電波によつてそれぞれ求められた線の交点によつて定められたものであることが、本件事故調査特別委員会の委員によつて確実視されていることが認められ、また、事故機が本件救難訓練に参加するに当つては、事前に、右の捜索訓練海面の風は、高度二〇〇〇フィートでは二八〇度(北西)から二〇ノット(秒速一〇メートル)が予想される旨の気象情報を与えられていたことは、前記のとおりであるが、右日辻証人及び原審証人玉田範雄の各証言によれば、当日は、右の捜索訓練海域は前線の影響下にあり、事故機と交替するため二二二〇時頃八戸航空基地を発進した前記の玉田機長のP2V型機が右訓練海域附近を航行する海上自衛隊所属艦艇から得た情報によれば、右海域における当時の風向、風速は、同機があらかじめ与えられていた前記の気象情報とは異り、風は一八〇度(南)から約一六ノット(秒速約八メートル)であつたことが認められるが、事故機の搭乗員が、本件訓練海域における気象条件が右のとおりであつて、あらかじめ与えられた気象情報と異るものであつたことを知つていたと認めるに足る証拠はない。

4  以上の事実によれば、事故機は、装備された航法援助機器が十分な効用を発揮しえない条件下においてこれに頼り、また、右のような気象条件の変化によつて自機が予想に反し北に押流される可能性があつたのに、これに気付かなかつたため、機位を誤認するにいたつたものと推認するのが相当であり、更にまた事故機が右のように機位を誤認したのは、結局のところ本件事故機クルーの練度の不足に起因するといわざるをえないが、前認定の事実関係に照らせば、大村航空隊司令は、事故機クルーの練度についてはこれを知り、もしくは知りうる状態にあつたのはいうまでもないところ、第二航空群司令の照会に対し、事故機を本件訓練に参加せしめて差支えない旨の回答をなしたのであつて、もし大村航空隊司令が事故機クルーの練度について適切な回答をなしていれば第二航空群司令は事故機を本件訓練に参加させることを中止するか、あるいは参加させるにしても危険防止のため所要の措置を講じたであろうと考えられるから、つまるところ本件事故は大村航空隊司令が第二航空群司令に対し右の回答をなしたことに起因すると解するほかはない。前出各峰松証言中右認定に反する部分は、当裁判所は措信することができない。

四国は一般的に国家公務員に対し、その遂行する公務の管理にあたつて、国家公務員の生命及び健康等を危険から保護すべき義務を負つていると解すべきところ、大村航空隊司令はその部下である本件事故機のクルーの各人に対し国が負担する右義務の履行補助者であることはいうまでもなく、また右司令が第二航空群司令に対し前記の回答をなしたことが右義務(いわゆる安全配慮義務)の違背にあたることはいうまでもないから、控訴人国は、本件事故により事故機の搭乗員河村、渋谷、和地、青柳、甘木、竹原及び酒見が蒙つた損害を賠償すべき義務がある。なお、被控訴人らは第二航空群司令が事故機を本件訓練に参加させるに当り、危険防止のために適切な配慮をしなかつたことをもつて安全配慮義務の違反である旨主張しているのであるが、弁論の全趣旨によれば、被控訴人らの主張には大村航空隊司令の右安全配慮義務違反の事実をもあわせ主張する趣旨が含まれているものと解するに十分である。

五次に控訴人は、本件事故の発生については、河村機長その他事故機の搭乗員にも過失があつた旨主張するので、この点について検討する。

もとより、事故機の機長である河村、副操縦士である渋谷及び航法員である青柳らがそれぞれ制度上その地位において期待される注意義務を完全に遂行したとすれば、前述の機位誤認はありえず、従つて本件事故が発生しなかつたであろうことは当然である。しかし前認定のように河村、渋谷及び青柳を含むクルー全体の能力について問題があり、この組み合せで、本件海域で、本件のような気象条件において夜間の捜索飛行訓練を行えば、事故発生の可能性があることも上司において認識しえたはずであるのに、漫然これに気付かないで、右訓練を実施した点に、控訴人の事故機乗組員に対する安全配慮義務の不履行があつたとする以上、控訴人は河村、渋谷及び青柳らに対し、はじめからその能力以上のものを期待しえないはずであり、この場合は河村、渋谷、青柳らが機長、副操縦士、又は航法員等として制度上要求される注意義務を懈怠したか否かは問題でなく、河村、渋谷又は青柳らが実際に有していた能力、練度の範囲内でなしうることをしなかつたかどうかだけが問題であるといわなければならない。そうして、河村、渋谷又は青柳らに右の意味で過失があつたことを認めるに足りる資料は本件においてまつたく存在しないから、控訴人の過失相殺の抗弁は採用することができない。

六そこで損害について検討して見ると、被控訴人らが本件事故によつて死亡した事故機の搭乗員河村、渋谷、和地、青柳、甘木、竹原及び酒見の各相続人としてそれぞれ承継取得した控訴人に対する損害賠償請求権についての当裁判所の認定判断は、河村、渋谷及び青柳の関係で過失相殺による減額をなした点を除いて原判決の理由説示と同一(原判決五〇枚目表二行目から同六〇枚目表五行目まで)であり、これによれば、控訴人に対し、被控訴人河村政子は三五一万九六一二円、被控訴人河村勝正は七六〇万二一一二円、被控訴人青柳ハルは二八三一万七七四八円、被控訴人和地久江は八三八万九一三二円、被控訴人和県弥生及び被控訴人和地みどりは各一一七三万九二六二円、被控訴人渋谷寅夫及び被控訴人渋谷光子は各一四七一万一三〇四円、被控訴人甘木クニ子は八二一万二九二一円、被控訴人甘木阿津美は二二七五万四五四二円、被控訴人新地敦子は八三六万六一八九円、被控訴人竹原里美及び被控訴人竹原千春は各一一二七万八九八二円、被控訴人酒見常次及び被控訴人酒見政江は各一〇八一万九五七〇円並びに被控訴人らは右各金員に対する本件訴状送達の翌日以降であることが記録上明らかな昭和五〇年七月一日から支払ずみにいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める権利がある。

七被控訴人らは以上のほか、予備的に機長の操縦上の安全配慮義務違反又は国家賠償法第一条第一項に基づく控訴人の責任に基づいてそれぞれ請求をしているが、右大村航空隊司令の安全配慮義務違反に基づく請求が理由ありとされる限度では予備的請求について判断する必要はないし、予備的請求のうち右限度を超える部分については、損害額を肯定しえないこと前認定によつて明らかであるから、やはり認容することができない。

八以上のとおりであつて、被控訴人らの本訴請求は、前項において判示した金員の支払を求める限度において正当として認容し、その余の請求は、いずれも失当として棄却すべきものであるところ、右の範囲内で被控訴人らの請求を一部認容した原判決のうち少くとも認容部分は相当であるから、本件控訴を棄却することとし(棄却部分は不服の申立の範囲外である。)、民訴法九五条、八九条、一九六条一項の各規定を適用し、なお、控訴人の仮執行免脱宣言の申立は不相当と認めて却下することとし、主文のとおり判決する。

(石川義夫 寺澤光子 原島克己)

レーダー追尾航跡と機長等が意図していた航跡(推測航跡)の相対関係図表

<省略>

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